当たり前が当たり前じゃなかった話
こんにちは、ぷらぱです。
自分と人の常識は違うことを最近痛感しました。
現在短期で自動車学校に通っているのですが、今回の記事では、講習中に起きた話を。
ある講習中の出来事
僕が通っている自動車学校では、学科教習中の居眠りやスマホは全面的に禁止されています。
禁止事項に該当する生徒さんがいれば、その時間はなかったことになり、全員が再度同じ教習を受ける必要があるわけです。
教える側はもらったお金分しっかり教える義務があるし、払った側はしっかり教えていただく。
それに、一歩間違えば凶器になる自動車(と、その免許)についてはしっかり聞くのが当たり前だと、僕は思ってました。
そして、つい昨日のことです。
講習中に、先生が僕の方に歩いてきます。
「なんかさっきから動きがおかしい」
と、僕の真後ろの生徒さんに言いました。
話しかけられるなり、その生徒さんは一言。
「すいません」つスマホ
結局、その時間はなかったことに……
なるはずだったのですが、短期で受講している生徒さんが多く、その後のスケジュールが大幅にずれ込むこともあり、急遽授業延長をして処置されました。
(先生が教室全員の予定を確認して回りました)
ちょっと信じられなかったです。
バレなければいいのか
その生徒さんは謝っていましたが、実際どういうつもりでいたのかは確認できません。
確かに、学科教習は退屈な部分もあります。教科書に書いてある部分を読めばわかることも多いです。
じゃあ。
「わかるからスマホいじってました」
許されるかといったらそうではないはずです。
禁止事項に該当したら他人に迷惑がかかるのは一番最初に、なんなら全員いる前で宣言されていました。
「当たり前」の相違
僕が考えていた当たり前は「聴いて当たり前。他人にも迷惑がかかるし」というもの。
ところがその人はスマホを使っていました。
「分かっていれば必ずしも聞く必要はない」
正直言いたいことはわかります。
しかし、禁止事項として挙げられ、処置もかなり重いものであることを考えれば、この相違はかなり怖いものです。
……散々ぼやかしてきたのですが、言ってしまえば「自己中心的」です。
そんな人が免許を取った時、どんな運転をするのか分かったものじゃありません。
(もちろん、決めつけもよくありませんが)
どうすればいいのか
この場面に限らず、人の前提と自分の前提が食い違うことはよくあります。
そんな時、違うと思うなら「違う」と主張すればいいし、それがしやすい環境はきっと良い環境と言えるのではないでしょうか?
僕の場合は教官の方がその後にしっかり注意してました。
まとめ
・自分がもつ当たり前と、他人がもつ当たり前は大きく異なることがある。
・その相違に問題があるならしっかりと口に出すべき。
・「新しい視点」として自分の中に取り込めるなら、受け入れるといい。
まとまらなかった(笑)
以上、ぷらぱでした!
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